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障害ということ③ 子育てと障害と僕と

子育てをしていると息子と娘の発達や発育の特性にかかわらず「成長曲線や発育の正規分布の範囲内になんとかして合わせていかないといけない」という圧力を常に感じ続ける。特に発達障害の疑いがある息子ではそうで、もうこの段階から“社会が定めた障害にぶつかっている”感じがして毎度嫌な気持ちがする。

 

なんというか「たとえ範囲内に入らなくても気にしなくていいんじゃないか、別に関係ないのではないか」という気持ちになってしまうのは分からないでもない。←この意味では仮に発達における正常値からの逸脱が生じても、“「うちの子の個性」なんです!”と言い張る親が出てきても不思議ではないように思える。何もかもが個性だと言いたい気持ちになること…分からないわけでもない。

 

今でもなお、使える最大であると医師が考える量の薬を注ぎ込んでも行動がまとまらない僕は社会にいつの時点でぶつかっていたのだろうか。いつもそうなのだろうか。そもそもぶつかっていたこと自体理解できていないだろうか(今でもそうだし、昨日もそうだったのだろうか)。僕の親兄弟は僕の行動をどういうように眺めていたのだろうか。

妻は「僕が薬をどれだけ飲んでも変わらない」というのだけれど、本当に変わらないのだろうか。だとすれば僕が治療を受けているのはいったい何のためなんだろうか。

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