全般発作のブログ

全般てんかん・ADHD患者のブログ

ずっと書いていなかったけれど

ずっと書いていなかったけれど辛うじて生きています。

書いていなかった期間、2019年末、あれから妻がまたDVを起こして、僕が殴られて口から血が出て、僕は警察にまた行きました。ただ、今回は傷害罪として妻を訴えました。

本来なら行くべきでは無かった、傷害罪として訴えてはならなかった、と後になって精神科のケースワーカーなどに言われたのですが、娘がいる状態で殴られて出血しているようでは、正直に言って僕を助けてくれる人は警察くらいしかいません。

暴行を受け入れるほどの懐の深さなんて、病気の僕には求めてはいけない。今更になってあなたは後悔しているかと問われれば、僕はそんなことはない。親の尻拭いのために、子どもがひどい目に遭っているのに、後悔していないなんて最悪じゃないのかと言われても、正直、殴られて出血する日々が続くことに怯えるよりはいい。そんな姿を息子が見たいだろうか?見たくはないだろう。

息子も、娘も、僕らが怒鳴りあったり、喧嘩し合ったりするのをずっと見聞きするよりは、僕らが安定した状態になってから帰る方がいいだろうと思った。

そういう訳で僕は息子と娘を施設に入れることにした。妻は最後まで拒絶していたと思う。ただ、自分が手を出した事は認めた。すまないと思った。すまない、でも、今は離れる以外に妥当な選択肢が見当たらない。

それとも僕が存在しない方が良かったのだろうか。間違いなく、そうだろう。

 

現在、息子とは2週間に1度、娘とは1か月に1度面会や交流ができている。このまま進んで行って、やがて帰宅に繋げたいと思う。

 

電話機が旅立たれた

息子が遊んでいたリンゴの形の電話機が旅立たれた。

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娘も少し遊んでいたのだけども、もうボタンを押しても反応しなくなってしまった。

電子機器のおもちゃに頑丈さを求めても仕方ないのだが、思い入れのあるおもちゃが旅立って行くのは少し寂しいものがある。

障害ということ③ 子育てと障害と僕と

子育てをしていると息子と娘の発達や発育の特性にかかわらず「成長曲線や発育の正規分布の範囲内になんとかして合わせていかないといけない」という圧力を常に感じ続ける。特に発達障害の疑いがある息子ではそうで、もうこの段階から“社会が定めた障害にぶつかっている”感じがして毎度嫌な気持ちがする。

 

なんというか「たとえ範囲内に入らなくても気にしなくていいんじゃないか、別に関係ないのではないか」という気持ちになってしまうのは分からないでもない。←この意味では仮に発達における正常値からの逸脱が生じても、“「うちの子の個性」なんです!”と言い張る親が出てきても不思議ではないように思える。何もかもが個性だと言いたい気持ちになること…分からないわけでもない。

 

今でもなお、使える最大であると医師が考える量の薬を注ぎ込んでも行動がまとまらない僕は社会にいつの時点でぶつかっていたのだろうか。いつもそうなのだろうか。そもそもぶつかっていたこと自体理解できていないだろうか(今でもそうだし、昨日もそうだったのだろうか)。僕の親兄弟は僕の行動をどういうように眺めていたのだろうか。

妻は「僕が薬をどれだけ飲んでも変わらない」というのだけれど、本当に変わらないのだろうか。だとすれば僕が治療を受けているのはいったい何のためなんだろうか。

発達障害のライターになろうとしている話

全般発作です。
「アスペは全員バカ?」「統合失調症とアスペは同じ?」などという結構当事者的には酷い記事で、当事者の周囲の人にも酷い内容の記事で、それ以外の囃し立ててバカ騒ぎする人にだけウケる内容のネタをマジで書いてお金が発生するというような、キュレーションサイトのライターをやろうとしています。

なので、こちらの更新がやや止まりがちになっていました。

クソ真面目な内容にしていこうと思いますのでよろしくお願いいたします。

記事としてまとめた内容を更にまとめて充実させた内容をnoteに上げていこうと思います。

 

 

障害ということ②「障害は個性」なのか?

障害のロールモデルは「障害は社会の側にあり、社会の障壁を下げることで障害を除去できる」とする「障害の社会モデル」に徐々に変わっているが、一方では障害者福祉においては「もっとケースワークを、もっと独自性を、もっと個性を」という圧力の強まりを感じる。これは福祉サービスの利用者側の要請というのもあるが、むしろサービス提供の質が低ければ淘汰されてしまうという方が大きな要因だろう。

確かにケースワークと個性を重視するということは素晴らしいことなのだろうが、重視されても仕方ない障害の実体そのもの(除去できるものではない欠損)がある。下半身麻痺で排尿支援と移動の支援が必要ならばそれらは常に必要だし、強度行動障害のために常に見守り支援が必要で食事のペース配分や排尿介助や自傷他害を行わないか等を常に見守る必要があるなど。そういうものは置いておいて「個性」と言われても、僕はなかなか厳しい気持ちで聞いてしまう。

そもそも障害を「良い面での、ポジティブな、社会において障害にならない個性」としてしか抜き出そうとしないなら、その逆は「ダメな面、欠けた面、できない面」として露骨に現れてくることになる。そのどうやっても除去できるものではない欠損を補填するのは支援者や家族などの役割だろう。それは今までと変わることはない。だからこそあえて「個性」と言い張る必要など特別ないと思われる。生まれつき既にあらゆる場合において、すでに個性的であるわけだから。

そもそも実際そこまで個性を引き出せなければダメな支援なのだろうかと、疑問を感じることは無数にある。というよりも個性というのはこちらから引き出せなければならないものではなくて、多分元々本人が持っているものなのであって、それが出やすい環境を調節するくらいしか精々できることなんてないだろう。こっちが勝手に想像している何かを引き出せなければならない、なんていう訳ではないのだし。

さて、僕について「障害は個性である」とするなら、全般てんかんADHD、大うつ病等々のことを「精神疾患」「精神障害」ではなく「個性」「特性」と読み替えることになる。しかし先に言ったように、強度行動障害や下半身麻痺のようなdisease やdisorder は、個性や特性と同じcharacter でも characteristicでもないことはどう考えても明らかだろう。「損なわれ続けている」もの、「欠けている」もの、「努力や根性で出来たりするわけではない」ことを個性や特性とはいえないだろう。

今は3年目になるが、今後てんかん発作の抑制のためには僕は数十年単位で薬を服用しなければならないし、その「個性」と「特性」が失わせてくれたものは限りなく多く、得られたものは限りなく少ない。

仕事の範囲は狭くなり、運転は制限され、多くの記憶が無くなり、記憶出来る範囲は狭くなり、できないことばかりが増える。しかし残念なことに僕には家族が残っているので、この「個性」と「特性」というのにはあまり活躍してもらわない方が生きていくためには何かと都合がいい。

だが、てんかんADHDを併発している僕は、目の前で遊んでいる息子が突然叫び声を上げて、倒れて痙攣し続けるかもしれない確率を上げているし、寝ている娘が突然痙攣して死ぬ可能性を上げているのだが、幸いにして、まだそれらは起きていない。こういうこと、こういうものを「個性」とか「特性」と言えるほどの突き抜け方を人に、ましてや息子と娘に強いることはとてもじゃないが僕には無理だ

障害ということ①自己受容~自分と仲良くなる

発達障害者であっても、適応行動においては適応した振舞いが身に付いているから、素晴らしいことができる人もいる。それは称賛や尊敬を集めたりして、素晴らしい人格特性だと褒め称えられることがあるだろう。他方で、不適応行動においては不適応な振舞いしかできないこともあるだろうから、否定や批判しか集まらないこともあるだろう。

身に付いている適応行動を見せられる場においては「適応している姿」と「良い意味での個性」が見られるだろうが、身に付けられない行動か、不適応な行動をとる場においては「適応できない姿」と「悪い意味での個性」が見られるだろう。でもそれは健常者でも全く同じことではないか。

休日の生活は家の中では終日全裸だが、仕事のある平日は紳士の振舞いで過ごす人がいるとすれば、彼の平日の過ごし方は適応行動だと見た人は言うかも知れないが、休日の過ごし方は不適応行動だと人によっては言うかも知れない。まあお風呂にはすぐ入れるかも知れないが。

行為を「適応できている面での行動」から抜き出そうとすれば「良い」「すぐれている」「うまく出来ている」「上手にできている」などというラベルの貼られた行為がずらりと出揃うが、「適応できない面での行動」から抜き出そうとすれば、それらの逆のことが言えるのではないだろうか。

そういう意味では「発達障害という行動が要因であった」というよりも「発達障害の行動を不適応な方向に向かって悪化させた環境の方が大きな要因であった」という方が、本人が生きる上で大きな影響を及ぼしているという可能性もありうるだろう。

実のところ選びようがない「環境要因」が規定するものは本当に大きく、本人が自分で決められるものはほとんど残されていないのではないだろうか。

例えば知能における遺伝要因というのもよく知られているように、かなりの確率で両親の遺伝的な形質を受け継ぐ。発達障害における遺伝要因というのもかなりの確率で受け継がれることが分かっている。場所や地域を変更しても自分では変えることが叶わない以上、これはある意味、本人にとって避けようのない環境要因だと言える。

当事者にとっては、自己と環境とを分かつ分水嶺がどこにあるかを考えることは、ほとんど不可能なことだといっていい。自分自身も環境の一部でもあり、自己でもあるという二重性を持っているという特質性が更にそれをややこしくさせる。しかし、出発点としての自己受容を僅かながらでも進めていくこと、それだけでも進めていくことができたならば、相反する適応的な自己と不適応的な自己との仲を取り持つことを進めていくことにも繋がるのではないだろうかと思う。

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